淡路手延素麺の歴史

淡路手延素麺の歴史は天保年間(1830年~1843年)に遡ります。

淡路島福良の渡七平(三原郡史では渡久平)は伊勢参りからの帰り、三輪地方でのそうめん作りを見かけて、その魅力に引きこまれました。

ただ食べるだけでなく、そうめんの製法を会得したいと考えた七平は、2年間三輪で素麺作りの修行をします。

そして習得した技を福良に持ち帰り、漁師たちに伝えたと言われています。

素麺作りに適した気候風土のおかげで、明治中頃には製麺業は漁業者の冬場の副業として発展し、約130軒が従事していました。

淡路島福良が、四国に繋がる海の交通に便利な立地にあったことも、淡路手延素麺の生産を後押しし、明治の後期には、各地の博覧会や品評会に出品、たびたび受賞して、市場でも好評を得ました。

明治41年には、組合員68名で三原郡素麺協同組合が結成され、製品の銘柄六種類が定められました。製造者も次第に増加し、最盛期には137名を数えるに至りました。

戦時における減産と播州への統合、他産地の攻勢などで、淡路手延素麺を作り続ける製麺所は減ってしまいましたが、昔ながらの手延べ製法にこだわった本物の手延べ素麺を今も守っているのです。